徹夜本と映画で現実逃避!

現実逃避して、しばし嫌な事忘れましょ!

視覚以外の感覚が堪らなく刺激される一冊・・・(美味礼賛/海老沢 泰久)

美味礼讃 (文春文庫)

 

美味礼讃 (文春文庫)

海老沢 泰久氏は野球とモータースポーツのノンフィクション系ライターだと思っていたので、辻静雄という料理研究家をモデルにした作品があることを知って少々驚きました。それが2年前位?いつか読みたいなぁと将来読みたい本のリストには入れていたものの、あっと言う間に時は経ち、先日ブラゾン(amazon web内をブラブラすることです。笑)していたら、プライムの中になんと発見!即行で読んでみました。

 

結論から言うと、凄く面白い一冊でした。今年自分が読んだ本の中では確実にベスト3に入る面白さ。寝る間も惜しんで、あっ、という間に読んでしまいました。 

辻静雄氏は言わずと知れた、あべの辻野料理師専門学校を創設したフランス料理研究家の第一人者であり、戦後の日本に本物のフランス料理を紹介した方です。あのポール・ポキューズにして「静雄はフランス人よりフランス料理のことを良く知っている。」と言わしめたとも・・・。ちなみにどうでもいいネタですが、現在辻グループの後を継いでいる静雄氏の長男、芳樹氏の奥様はテニスの松岡修三氏のお姉さんだそうで、庶民には縁のないブルジョワ一族というイメージですね。(笑) 

自分は美味しいものも、ワインも大好きですが、フランス料理のなんたるかなど全く知らないので、専門的なことは半分も判らなかったのですが、この本は、本当に色彩とか香りが凄く豊かで、聴覚、味覚、嗅覚、触覚とあらゆる感覚が刺激され、読んでいる間、涎と冷や汗が止まりませんでした・・・。補足すると、「涎」は勿論食べる前の描写、「冷や汗」は兎に角、勉強の為に無理して食べ続けなくてはならない場面で・・・。(笑)

自分は本を読んでいる時は、夢と一緒で、なんとなく白黒感覚なのですが、この本は何故か浮かんでくるイメージ、イメージがカラー、しかも香り、味覚、温度、質感付きで少々驚きました。後にも先にも、こんなに鮮烈なのは、本作と以下の本だけです。 

frikandel.hatenablog.com

なんでだろう?と読みながらずっと不思議に思っていたのですが、本書の解説をお書きになった、向井敏さんの説明で、目からウロコガ落ちるように、その謎が解けました。

以下は引用ですが、要は海老沢氏は味覚をそのものを語ることをしていないのです・・・。 

「しかし、この『美味礼讃』は伝記小説としてぬきんでているだけではない。それと同じくらい、あるいは それ以上に、料理小説として傑出している。何よりも驚かされるのは、フランス料理はもとより、日本料理であれ、中華料理であれ、この物語に出てくる数知れぬ料理のほとんどすべてについて、どんな 材料をどんなふうに調理してできたものかということが、逐一、そしてここが大事なところだが、じつに具体的に説明されていることである。どんなに複雑な料理であっても何一つ省略せず、それでいて明晰 でわかりやすい、海老沢泰久ならではの文体で。二つばかり例を引いてみよう。一九六一年十月、静雄夫妻がはじめてフランスのヴィエンヌを訪れ、フランスでも最も名の高いレストラン「ピラミッド」で当主マダム・ポワンにディナーを供される場面である。

 

【オードブルは鴨のパテだった。赤ワインで四十八時間マリネした鴨の腿肉と、白ワインで四十八時間マリネした仔牛と豚の腿肉を、仔牛の喉肉と豚の胸肉のミンチに混ぜ合わせて味つけし、フォワグラの かたまりを入れて、折り込みパイで包んで焼いたものだっ た。ソースは、細かく刻んだトリュッフが真黒 になるほどはいっ たソース・ペリグーが添えられていた。食べると焼きたての折り込みパイがさくさくといい 音を立て、肉からはほのかにワインの香りがした。】

 

【メイン・ディッシュは平目のシャンパン蒸しだった。これも鴨のパテと同様、とても手のこんだ料理だった。まずそぎ身にした平目をエシャロットやシャンピニオンと一緒にシャンパンと魚のだし汁で煮たあと、その煮汁を煮つめ、そこに卵黄とバターでつくったソース・オランデーズと生クリームをたっぷり加えてそれを煮た平目にかけ、最後に上部からだけ熱を当てる オーヴンで表面にこんがりと焼き色をつけるのである。これもフェルナン・ポワンがもっとも得意としてい た料理のひとつだった。クリームの何ともいえないやわらかな香りがした。食べると平目は肉が厚く、ナイフを入れると崩れてしまうような日本のものとちがって、しっかりした歯ごたえがあった。】 

 

この二例からも察せられることだが、海老沢泰久の料理の叙述は材料と調理法のことで大半が費やされ、あとは舌ざわりや歯ごたえ、香りなどについていくらか触れられているだけで、味覚に関する表現 はほとんど見当らない。まれにあったとしても、「いい味」、「おいしい味」、「信じられないような味」、「何ともいえない味」 といった、当りさわりのない言葉ですまされている。ふつう、料理の描写の得意な作家といえば、たいていがこの逆、つまり味覚表現に力をつくすもので、たとえば開高健がそうだった。彼 の食べものエッセイの代表作『最後の晩餐』(初刊1979年、文藝春秋。のち、文春文庫)に「王様の食事」という章があって、これは大阪の静雄邸で、朝、昼、夜の三回にわたって正式のフランス料理を供されたときのありさまを描いた文章だが、そこにあるのは味覚を比喩する絢爛たる言葉の氾濫。「静謐にして豪壮」、「深遠にして端麗」、「鬱蒼として深遠」、「深くて冷たい森」、「早朝に射す日光の清鮮」、そして、「鮮。美。淡。清。爽。滑。甘。香。脆。肥。濃。軟。嫩」といった具合で、それははなばなしい眺めだった。海老沢泰久の場合は、開高健好みのこうした比喩表現とは対蹠の位置にある。元来、味覚を的確に言いあらわすことはきわめてむずかしく、ことに料理ごとに異なる味覚の微妙な差異を直截に表現することなど、まずは不可能であろう。どうあがいても、結局は文学的な比喩に頼ることになってしまうのだが、海老沢泰久はそんなことはしたくなかった。ものごとをできるだけ具体的に、かつ簡明に伝えることが彼の表現の掟だったからである。そこで彼は、言葉できちんと説明できる材料と調理法を示すだけで、味覚そのものを語ることをみずからに禁じてしまったらしい。しかし、この禁欲的な筆法はかえって功を奏し、鴨のパテや平目のシャンパン蒸しといった料理のもつ 複雑な味を、比喩にへだてられることなく、いわば至近距離で味わっているかのような感じを読者にもたらすことになった。」

とこんな訳です。読んだ後に成程と思わず唸ってしまいました・・・。

一点気になったのですが、辻静雄は食の巨人と言われた魯山人とは交遊は無かったのでしょうかね?魯山人が亡くなったのが1959年。辻氏が生まれたのが1933年なので、まだ新聞記者をやっている時で、氏も料理の世界に入る前だったと推察されます・・・。この二人の巨匠が会ったらどんな会話をしていたのでしょうか?

併せて、やはり同じ料理研究家?評論家?の服部幸應氏とはどんな関係だったのでしょうかね?ネットを検索しても出てこないので、業界のタブーなのかもしれませんね・・・笑