中国の伝説の動物である麒麟は、一回食べた物の味は絶対忘れないと言われている、そんな舌を持つ天才シェフのお話・・・(ラストレシピ/田中 径一)
映画の原作になっているんだから、間違いないだろう!と考えて閲読。確かに面白いし、結末が気になってずんずん読み進められるんだけど、なんだかとっても薄味な印象。料理を題材にしているにもかかわらず、この感じってなんだろう?と思いながらもそのまま続読。
著者は、「料理の鉄人」等で有名な演出家の田中径一氏。映像中心のTV界出身だからかなぁ?とか、これが小説家としてのデビューだからかなぁ?なんてことも考えてみたけど、そういう感じでもない・・・。うーん・・・なんだろこの違和感?
佐々木 充(みつる)は音楽で言えば絶対音感のような、一回食べた物の味は一生忘れない舌の持ち主。最高の料理を追求し、嘗ては自身で各界の食通を唸らせるレストランをやっていたが、充のあまりにも完璧を求める姿勢に同僚達が着いていけなくなり、店は破綻、多額の借金を背負うことに。その借金を返すために、高額で今際の際の人が最後に食べたい想い出の料理を再現する、半分やくざのような“最期の料理請負人”をやっている。
その充のところに、第二次大戦中に天才料理人・山形直太朗が完成させた究極の料理を蘇らせてほしいという依頼が突然舞い込む。依頼主は釣魚台国賓館の料理長で中国では知らぬ者はいないと言われる楊晴明。報酬はなんと5,000万円。
充はなにやら胡散臭いと思いながらも、中国へ向かう。楊が作って欲しい最後の料理とは、満漢全席の日本版というべき「大日本帝国食菜全席」。
「大日本帝国食菜全席」とは、関東軍の幹部が天皇陛下に献上することにより満州国を世界に知らしめようと山形とそのアシスタントとなった楊に要請して作らせたもので、メニューの数は満漢全席を超える204品。そのレシピは春夏秋冬と4冊に分かれ、充は楊より、どこかに必ず残されていると言われているオリジナルのレシピを探すことから取り掛かるように指示される。
山形が所属していた宮内庁の大膳寮(天皇の料理番がいる部署)→山形の大膳寮の同期→山形の妻→山形の弟→山形の娘と、まるで誰かに導かれるように話が繋がって行き、徐々に明らかになる当時の状況。充は、この後、自身の運命を大きく変えてしまうことが起きるなどとは露知らず、少しずつであるがレシピに近づいて行く。
さぁ、彼は、無事4冊のレシピを発見し、楊のリクエストに応えることができるのか?
作中で、レシピの中の一品を再現した充が、違和感を覚える場面があるのですが、その部分を読んだ時、自分は「あ、これか!?」と鳥肌が立ちました。
若干ネタバレになってしまいますが、レシピは実は完璧ではなく最後はやはり、山形と同じような舌を持つ人間がひと手間を掛けて完成となることに充は気付きます。田中氏の話も同様で、途中までは何か薄い(漢字で言うと希の”うすめる”の方が正解かな?)と感じていたのですが、最後の最後の展開で一気に濃くなり、全ての出来事が一個々々輪郭を伴って見えてきます。つまり料理でいうと、口に含んだ途端、使用した食材のひとつひとつの味がハッキリと判る、そんな感じ?。果たしてこれを田中氏が演出として狙ったのかどうかは判りませんが、自分は、「流石、映像を長年やっていた人だ!」と勝手に唸ってしまいました・・・。(笑)
「料理の鉄人」の演出家なので、料理の内容に期待しがちですが、料理ものと云うよりは上質の感涙ミステリーと言うべき一冊です。
併せてニノ宮君主演の映画もこの機会に見ましたが、相当原作とは変わっていました・・・。ただ、やはり最後は涙、涙でまとめている部分は一緒でしたね。(笑)ここまで、脚本いじられても、原作者の田中氏は怒らなかったのかな?と思いましたが、そこはTV界出身の方なので、きっと柔軟に対応なさったのでしょうね・・・(笑)
自分はニノの演技は好きですが、よく考えると彼もキムタク同様、同じようなパターンの演技の気が・・・でも、指摘されるのはキムタクばかりというのはなんなんでしょうね?キムタクは役のチョイスが悪いのかな?彼はあんまり仕事断らなさそうだしね・・・。どうなんでしょうか?