徹夜本と映画で現実逃避!

現実逃避して、しばし嫌な事忘れましょ!

久方ぶりの純文学!?ほとばしる書き手の鬱屈感・・・(苦役列車/西村 賢太)

f:id:Frikandel:20191116001730j:plain

芥川賞の受賞インタヴューで「そろそろ風俗に行こうかな?と思ってたので。」とコメントして有名になった著者の作品です。 

受賞後のインタヴューで物議を醸したのは、この人と田中慎弥氏ぐらいだったと思います。144回の受賞者が著者で、145回は該当なし、146回が田中氏なので、(田中氏はなんか物凄く怒っていて、「くれるなら貰っておいてやる」みたいな態度でした・・・)最近の芥川賞受賞者はぶっとんだ人ばかりだなぁ、とびっくりしたことを思い出します・・・。 

今更ですが、芥川賞って何?直木賞との違いは?ってことでちょっと日本文学振興会のホームページを調べてみると、以下のQ&Aがありました。 

Q. 芥川賞直木賞の違いを教えて下さい。

A. 芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。 

 

因みに、日本文学振興会とは、各種文学賞の授与を行ない、文芸の向上顕揚を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする公益財団法人だそうです。各種文学賞とは、芥川賞直木賞菊池寛賞大宅壮一ノンフィクション賞松本清張賞とのこと。 

世の中には本当にいろんな団体があるものですね・・・。 

閑話休題 

著者は芥川賞を受賞したとのことですので、本作は純文学というジャンルに入ると思います。最近はどちらかと言うとエンタメ性の高い小説ばかりで、対して、ニキビ面の青春時代は、訳も無くイライラしながら太宰治三島由紀夫など、むさぼるように読んだ記憶があるだけに、純文学と言うと少し構えてしまい、なんだか緊張しての読書となりました。(笑) 

本作ですが、言葉遣いが独特です。カタカナが結構出て来るかと思いきや、意味さえ分からない古い感じの言葉遣いも多く、かなり調べてしまいました。

いきなり冒頭の文章が、

「曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある年百年中糞臭い共同後架に立ってゆくことから始まるのだった。」

なのですが、曩時って何?もしかして曩時北町って名前??後架って何?

曩時(のうじ)とは昔とかさきの時とかいう意味で、後架(こうか)はトイレのことらしいです。いやー、先が思いやられると思ったものの、後は案外最後まで、結構スイスイ読めました。(もちろん言葉を調べる為に何回かグーグルしましたが・・・) 

 

内容はうーん、ほとばしりますね~。書き手の鬱屈した気持ちが、ギンギンに読み手に訴えて来ます。 

北町貫多は中学を出て、その日暮らしの生活を送っている。目標もなく、ただただその日を生きている。金が無くなれば港湾人足をやり、金がある時は、飲み食いするだけ。友達もおらず、常に孤独。言葉を交わす知り合いもほぼいない。本当は、人とのつながりに飢えているにも関わらず、プライドが高く、自身は孤高の人を気取っている。要するに人として付き合うのが究極に難しい人物。そんな人間の内面を著者は見事に描き切っています。

著者はまさに、あの見城徹氏が言う「小説家には、書かなければ救われない、何かがある。上手くても下手でも強い祈りが込められ、膿んだ傷の感触がある。癒すことのできない痛みがあるから、表現をする。彼らは、自分の内部から滲み出る、やむにやまれぬ気持ちを作品化している。」に当てはまると思うのですが、幻冬舎からは一冊も作品を出していません・・・。

西村氏は見城徹氏が言う作家にぴったりな気もするのですが、きっと、(これは勝手な想像ですが、笑)見城氏は脆くて壊れやすい内面が細い感じの商業ベースの天才が好きなんじゃないかな?と言う気がします。西村氏も紛れもなく天才だと思いますが、脆くて壊れやすい感じの天才では全くなく、どちらかというと決してへこたれない、商業ベースなんて糞喰らえ!的に内面が太い人に見えるので、見城氏とは合わないのかもしれませんね・・・。(笑) 

いずれにしろ、久しぶりの純文学、なんだか胸がいっぱいになりました!ごちそうさまでした!

frikandel.hatenablog.com

苦役列車 (新潮文庫)

苦役列車 (新潮文庫)