天才達と常に命のやりとりをしている、とある編集者の話。(編集者という病い/見城 徹)
最近映画を見る時間が全然取れないので、通勤途中に本ばかり読んでいる。
しかし、これは強烈な本だった・・・。
見城徹という人の存在を知ったのは、かなり前だったと思う。村上龍先生がどこかで見城氏の事を書いていたのを読んで、「へー、先生がこれだけ褒めちぎる人ってどんな人なんだろう・・・。」と思っていたら、幻冬舎という出版社を創ったという。龍先生の『五分後の世界』という傑作はこの幻冬舎を興す為に上梓された最初の6冊のうちの1冊であり、他には、『みみずくの散歩 / 五木寛之』、『約束 / 北方謙三』、『少女革命 / 篠山紀信』、『120%COOOL / 山田詠美』、『マリカの永い夜/バリ夢日記 / 吉本ばなな』と人気作家ばかりが続く。
当時、幻冬舎は少々異質で、ベストセラーを連発するも、自分の中では、なんだか暴露本出版社のイメージであり、龍先生の作品以外はあまり興味があるものは無かった気がする。(郷ひろみが離婚する際に出版された「ダディ」のイメージが強かったから?勿論、今は違うイメージを持っているが・・・。)
しかしながら、本作を今回読んで、氏がとんでもない業界のカリスマで、いかに出版業界を引っ張って来たかを知った。
本作は、自身の事を記した序文の後、いきなり尾崎豊との強烈な関係を語ることから始まる。まさに取るか取られるか、命のやりとりのような緊迫した日々。普通の人では到底耐えられない状態が描かれている。読み始めて直ぐ、この本は「尾崎豊」という題名でもいいんじゃないか?と思った位である。こんな事をいうと、「判った風な口を利くな!」と言われそうだけど、尾崎豊というカリスマがどうして絶頂期に亡くならなくてはいけなかったか、初めて理解できた気がした。
氏は、「小説家には、書かなければ救われない、何かがある。上手くても下手でも強い祈りが込められ、膿んだ傷の感触がある。癒すことのできない痛みがあるから、表現をする。彼らは、自分の内部から滲み出る、やむにやまれぬ気持ちを作品化している。」と述べる。
また、氏は彼らの作品をこう定義している。
こちらが「お前の一番見せたくない傷や膿を出せ」と言い、相手がさらけ出し、全体重をかけて関係して来た時に、これは自分自身もさらけ出さざるを得ないぞ。と追い詰められた時に初めて成立するもの。
よって、関係が悪化したり、返り血を浴びたりすることを恐れてはならず、自分だけが安全地帯にいても、相手は決して答えてくれない。と言うのが「作品」を創る時の鉄則だそうだ。
昨今、メディアの多様化による活字離れと不況の影響で本が売れないと言われているが、氏は「それは違う。」ともきっぱり言い切る。本は面白ければ必ず読み継がれる。本が売れないのは自分の責任であり、自身の責任において事態を引き受ける姿勢が今の出版業界からは抜けていると強く主張している。
だから、氏は兎に角、徹底的だ。
氏は作家が10やって欲しいことがあれば必ず10やってきたという自負があると言う。金を使い、時間を使い、ギリギリまで精神をすり減らしてきた。そんな命と命のやり取りを書いた一冊である。
本作には、尾崎豊の他にも石原慎太郎、山際淳司、中上健次、坂本龍一、松任谷由美、村上龍、浜田省吾、五木寛之、内田康夫、重松清、大江千里、銀色夏生ら所謂、天才達との魂と魂のぶつかりが書かれている。
すさまじい生き方をしている人というのは、やはり居るものだ・・・。