心の平穏が得られました。じたばたしたってしょうがない・・・(そのうちなんとかなるだろう/内田 樹)
通勤は「百害あって一利なし」かもしれないけど、自分の場合は一利ある。少なくとも読書ができるから・・・。
この本の著者のことは知らなかったし、今もよくは知らない。コロナ禍でソフトロックダウンが始まる前に、自身の「読みたい本リスト」に入れたみたいなんだけど、今となってはなんでこの本を読みたかったかさっぱり思い出せない。当時、仕事でいろいろとあって、気分が落ち込んでいて「そのうちなんとかなるだろう」という題名に惹かれたのかなぁ・・・?
そんな思いで読み始めた本ではあったけれど、久しぶりに目からウロコが落ちる、とてもよい本だった。
著者は自身をまず武道家と名乗っているが、東京大学を卒業した歴としたフランス文学者である。本書は ”真面目でいろいろと想いが強い為に、常に一見回り道と思われる道を進みながらも、人生なんとなく乗り切って来たよ” という筆者の自伝なのだが、乗り切り方が非常に魅力的で、本書を読む殆どの人は氏の生き方への憧れと、「そうか、人生はそういう風に考えればいいのか。」・・・という指南が得られるのではないだろうか、と思う。
1章は主に学生時代の話で、途中で自主退学してしまったにもかかわらず、筆者のバックボーンとなった日比谷高校、そして大検から東京大学に入学し卒業するまでの話。2章は社会人、家族、合気道の話、3章はそれらを踏まえての筆者の想いのようなものが語られる。それに高校時代の友人のエッセイが3篇。
著者の長く密度の濃い人生を、こんな風に短い時間で扱ってはイケないとは思うけれど、あっと言う間に流れるように全編読んでしまいました。ただし、目から鱗で、唸った箇所がかなりあり、その中でも「武運」の話と「後悔は2種類ある」という語り部分だけは、自分にとってあまりにも衝撃が大きかったので何度も読み返してしまいました。
「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」というのが武道の教えであり、それは自身で能動的に探し出すことではなく、流れに任せて、縁を辿り、気が付いたら「いるべきときに、いるべきところ」にいて、適切な機会に調度「なすべきことを」している、ということで、常に事後に「あ!」と気付くものなんだそうです。そういうことが人生の節目節目で連続して起こる、それが「武運」というものであり、それに恵まれるために武道家は修行というものを積むとのこと。筆者は、ここでは武道ということに限定して、説明をしていますが、何もこれは武道に限ったことではないですよね。人生全てにおいて、何か一つに打ち込んでいる人全般に言えることなのでは?と思い至った時、自分は何故か鳥肌立ってしまいました。(汗)
また、後悔には「何かをしてしまった後悔」と「何かをしなかった後悔」の2種類あり、前半の後悔は、これはもうやってしまったので、自身で責任を取って、反省、将来への成長に繋げるしかないもの。後半の後悔は、本人は「あの時、ああしておけばよかった、あの時、ああしていた自分が本当の自分だ」と、心のどこかで思っていて、「今の自分は本当の自分ではない」と自ら実体をなくしてしまっているもの。したがって後半の後悔は、実体がない人間に反省などできず、成長もないということになり、考え、悩んでもしょうがないものということになるのだそうです。
本書にはそんな、人生の真理?がちりばめられています。
自分も、既に人生の半ばはおそらく過ぎてしまったけど、今からでもこんな人生が送れたらいいなぁ、と改めて想える一冊でした。なんとなくやりたいことが判らず、悩んでいる人にとっても、心の平穏が得られる薬のような本と言ってもいいかもしれませんね。
自分もすぐに腐らず、何事も一生懸命、どんなことがあっても、ドンと「そのうちなんとかなるだろう」と構えて今後生きていきたいと思います。
この本を読んだ後で、氏の「内田樹の研究室」というHPに掲載した「コロナ後の世界」のインタヴューが炎上しているという記事をネットで読みました。自身は有識者の一つの意見として興味深く読みましたが、ちょっと将来を案じて暗くなってしまいました・・・。是非皆さんも一読して、いろいろと考えてみて下さい。